今年は、私たちが住んでいる小国郷にジャージー牛が導入されて50周年の記念の年に当たります。
地元では、先日、記念式典や記念行事などが開かれました。また、それに合わせ地元の新聞で連載記事も企画されたのですが、未来に向けた新たな取り組みということで取材をいただきました。記事は、3回の連載の最終回、将来に向けた取り組みの部分で、生産者が直接消費者と新たなつながりを作ろうと新たな取り組みをしているとの内容で、妻が熊本市内のスーパーでの試飲を行なっている大きな写真とともに掲載していただきました。
掲載後は、いろいろなところからお電話をいただき改めて新聞の反響の大きさに驚いています。
歴史を紐解けば小国の酪農は、昭和32年、当時の河津寅雄町長が、地元住民の所得・生活の向上を目的として、山里・小国に新たな産業としての酪農を興すべくオーストラリアから98頭を導入したのが始まりです。当時は、全国的な流れの中で県などもホルスタイン種の導入を推奨していたようですが、氏は、小国地方特有の地形や気候なども含め総合的に判断し、流れに背いてジャージー種の導入を決断しました。現在の酪農業界の状況を見るにつけ、氏の先見の明には改めて驚かされます。
なぜ、小国にはジャージー種が導入されなければならなかったのか、当時の町長が決断されたのには、大きな理由があると思います。50年という長い年月を経て、先人の理念に再度立ち返ることで、未来の方向性が見えるのではないかと思いますし、そうすべき時期に来ているのではないかと私は考えます。自分が、ジャージー牛の本来の性質を生かした製品づくりをしなければならないと考えるのは、そこに答えがあるような気がするからです。
半世紀にわたる長い歴史の中で、わずかでも自分たちの取り組みが評価いただけたとのことは大変うれしく思います。また同時に、歴史をつないでいく責任の重さも節目に当たって改めて考えさせられました。 |